the hakata rock & photo magazine BEATMAKS #3
☆☆長い眠りから目醒め☆今よみがえった天性のロックン・ローラー☆山部善次郎☆☆
Revenge of YANAZEN !!
− 山善の逆襲 −
From HAKATA with Love & Peace since 1981
 山善の本格的な音楽活動は今を逆上ること、白亜紀、いや違う、10年前で、最初は田舎者なるグループで市内のライブハウスを荒し回っていた。そののちスマイルを結成したという学説もあるが詳細は定かでない。このグループもデモテープを作るなど、かなり精力的に活動していたようだ。え!?山善の担当は何だったかって?
 一応どのグループでもボーカリストだった。しかし山善の場合、単にボーカリストというよりも総合的なエンターティナーと呼ぶ方がふさわしい。通常ロックよいうと若い人間が楽しむモノと思われがちだが、彼のエンタティンメント性は、たとえ7〜80才のおばあちゃんでも、たとえ幼稚園の子共でも、一気に興奮の渦に巻き込んでしまうほどのパワーを持ち合わせている。普遍的パワーだ。だから仮に盆踊りの場に出演しても、必ずそこにいる人々を彼のペースに引きずり込んでしまうだろう。これまで触れた山善の暴力性(彼自身はこれをロックンロールという)とは、また違った一面である。


 さてその後彼は田舎者を再結成する。この時のメンバーには、現ロケッツの浅田孟(b)がおり、現在でも山善と浅田は親友の仲らしい。そして1979年田舎者解散後、一時のソロ活動こそするが、1980年以降、山善の姿は例年7月1日〜15日の博多祇園山笠の期間中、つまりその2週間を除いて、ほとんど見られなくなってしまったのである。

 「ヤマゼンが動き出した!」 この噂を耳にしたのは今年の初夏である。しかし毎年この時期になると「冬眠」(彼を知る者はこう言う)から目醒め、全国にその名を知られる祭、博多山笠に参加するなど一夏暴れるとまたオトナシくなるというパターンを知っている関係者はさほど気にも留めなかった様だ。だが毎年「冬眠」の間蓄積したエネルギーの全てを賭ける、その博多山笠に今年は参加 しなかった、という話も聞いた者は皆一様に青醒め直観した。
「今年の夏は何か起きる......。」


 さて逆襲の第一歩を踏み出した山善、ジャンピング・ジャムへのゴリ押し出演の一週間後、今度はFMに乗り込み、「福岡ライブ・エクスプローション」で現在の博多のバンドや客等について、「気合ば入れるため」言いたい放題喋りまくった。この事は知ってる人も多いと思う。
 調子づいて来た彼は次に、デモテープを作ると言い出した。メンバーの予定を聞かせてもらうとこれがまたスゴイ。元田舎者、元ショットガンなど、時期を言えばサンハウス以降モッズ以前に活躍していた、知る人ぞ知る錚々たるメンバー、総勢30人!!18時間で50曲の録音予定!!普通18時間といえばどう頑張っても10曲ぐらいしか録れないものだ。
おまけに福岡市内から高速道路を利用して約一時間半のスタジオまでバスをチャーターする!!だって。常人ならば話のスケールのデカさに冗談半分にしか耳を貸さないところだ。
8月19日日曜日、午前8時半、「絶対取材に来てくれ。」という彼の熱心な要望で、ビートマックス特別機動装甲取材班2名は半信半疑で彼の活動拠点である博多区千代町に向かった。

 山善の実家は博多では老舗の紙問屋を経営している。その「紙ヤマベ」の看板を探すまでもなく、すでに店の前で楽器を手にし大騒ぎしている山善を発見。メンバーも30人とはいかないまでも、もう数人集まっている。インターチェンジで待っているというバスまで一行+数人を乗せたタクシーは午前9時、千代町を出発。
「おい本当にバスが来とうぜ!!」インターに停車していた中型バスを見たメンバーが口々に叫ぶ。ここでバスに乗り換えいよいよ「マジカル・ヤマゼン・ツアー」(山善談)が始まったのであーる。














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<原本発行 1984年10月20日/復刻初版 1998年8月21日/改訂二版 2000年12月30日>
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