the hakata rock & photo magazine BEATMAKS #5
THE ACCIDENTS
From HAKATA with Love & Peace since 1981
 1981年9月から12月にかけて行われた、ローリング・ストーンズ全米ツアー。ストーンズ最後のツアーと噂されたこのライブの模様は「スティル・ライフ」として翌年初夏レコード発売されている。このツアーを観に渡米、帰国後「絶対バンドばせな!」と強く感じた原島宏和は昔からの友人達に呼びかけロックン・ロール・バンドを結成した。それがアクシデンツだ。
 原島(ボーカル)、樋口博(ギター)、後藤昌彦(ギター)、井上克之(ベース)、広橋昭幸(ドラムス)の5人で1982年6月アクシデンツはスタートした。御存知の通り、樋口・後藤の2人は1978年〜79年にかけて森山達也・北里晃一とザ・モッズで活動をともにしていた。「最初の頃はグラハム・パーカー&ルーモアみたいなバンドにしたいなって思っとった」と語る原島。結成9ヶ月後の1983年3月にはモダン・ドールズの佐谷光敏らと「ロックン・ロール・サーカス」(ギグ名でもあり、主催団体名でもある)を開催したが、"Accident Will Happen"、同4月に原島が不慮の入院。
 その間リズム・セクションが穴井仁吉(ベース)宮本秀二(ドラムス)の2人に交替。これまた御存知の様に穴井仁吉は78年から81年にかけザ・ロッカーズで、その後はマーキーズで活躍、宮本は79年頃、やはりザ・モッズに在籍していたという強者達。
 原島の退院後、それまでライブ・ハウス一辺倒だったライブ活動が各種イベントへの参加、そして自ら主催のギグへと拡大する。
 1984年に入り、12インチ・シングルの発売、九州ツアー、福岡ビブレ・ホール・東京新宿ロフトでの3日間連続ギグなど非常に精力的な1年を終え、そして今年春徳間ジャパンからのレコード発売決定。ある意味では「戦略的」またある意味では「ラッキー」なバンド、アクシデンツの、これはレコーディング直前インタビューである。指定された場所には樋口、後藤、宮本、そして穴井に代って昨年暮に参加した柴田正彦がいる。原島は2日後の新宿ロフト・ライブの打ち合わせが長びいているらしく、まだ来ていない。

The Accidents■今のうちに話なんかどうですか。原島さんはアクシデンツ結成以前、本当にバンド経験なしだったんですか?
樋口=ゼロっちゅうことじゃないっちゃんね。高校時代にちょっとやっとったとかで。

■やっぱりボーカル担当?
樋口=うん。
宮本=もう生活がボーカルのタイプやもん。

■根っからのフロント・マンなんだ。
柴田=知り合った時もうボーカルしよったもんね。

■最近のアクシデンツ、変ったでしょ?去年の春頃まではどうもシンガーとそのバックってイメージだったけど、夏の、特に「ジャンピング・ジャム」あたりからすごく「一つのバンド」っていう姿勢がステージに表われ始めたっていう気がするんです。
樋口=原島が変わったっちゃないかねェ。

■残りのメンバーじゃなくて?もっとハデに行こう!とかいうふうに。
樋口=いや俺達の方は変わっとらんのやないかいなね。昔は俺たち同じアクシデンツなんやけど、ボーカル&バックみたいになっとって。原島もまず歌うことに一生懸命になっとったからね。それが最近じゃバンド指向っていうか、アンサンブルちゅうこと考え始めたんやないかいな。

■僕は逆に他のメンバーがもっと前面に出ようとしたのかと思っていたんだけど。例えば熊本大の黒髪祭での樋口さんのギミック的なアクションなんか見ると。
樋口=そう、それはまた相乗効果やないかな。3年もやってると余裕も出て来るし。もう目つぶっても弾ける曲だってあるしね(笑)。
後藤=でもね、アクシデンツも3年、その前からバンドしよるわけやけど、そうやって何年もしよるけんね、逆にプレッシャーがかかる時もあるんよね。同じことはもうしたくないとか、プレッシャーの方が大きかった時もあるもんね。










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<原本発行 1985年2月20日/復刻初版 2001年3月8日/改訂三版 2004年3月31日>
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