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☆☆復活から10ヶ月、この短期間に彼ほど話題がつきなかったロックン・ローラー!人物は他にいない☆☆ Invation of YANAZEN !! − 山善の進撃 − |
1971年「田舎者」結成に始まり、「日本初のパンクバンド」である「ドリル」に至るまで数々のバンドを経験した彼は、一時音楽活動から全く手を引いてしまう。1980年台を迎える直前のこと。サンハウス、モッズ、ロッカーズと並び大穴、あるいはダークホース的な存在として博多を荒し回っていた彼が、なぜ突然ステージから消えてしまっただろう? 音楽活動をやっていくうえで直面する様々な問題−−人間関係のしがらみ、彼をとりまく人々の欲望の交錯…etc−−が、殺伐としている反面、非常に繊細な彼を押しつぶそうとした。これが大きな原因だった。 「ドリル」解散後、彼はギターの弾き語り、また他のバンドへのゲスト参加など、つまりソロで活動をしていた時期がある。 今でもたまにステージで歌う自作のバラード。「キャデラック」に代表されるバリバリのロックンロールとは余りにもかけ離れた世界のメロディアスな曲。その多くはこのソロ活動のときに生まれたものだという。 様々な問題、重圧が山善から自由奔放なロックンロールを奪った−−とは考えすぎだろうか? 狂気めいたファンを避けるため厳重な警備陣に囲まれ、プライベートな生活・心休まる時間をなくし、精神的に疲れ果てたビートルズが、美しい、しかし精気のないバラードを作り始めたように。 純粋に心からロックンロールを愛し、ロックンロールを歌うことで自分を表現しようとした山善にとって、そんなくだらなくもヘヴィな問題の数々はきっと耐えられないものだったに違いない。 約4年もの間、彼は人前で歌うことをやめてしまう。だがやはり彼にはロックンロールを捨て去ることはできなかった。活 動停止中彼はネクタイを締め家業である紙問屋の一営業マンになっていた。得意先からも評判の良い優良社員。 しかし、彼はいつも感じていた。「絶対何か違う。何か違う…。」自己表現することを奪い去られた人間の焦燥感。 こう考え出すと、いても立ってもいられなくなった。山部善次郎はもう一度ロックンロールバンドで歌うことに決めた。その後のことは「山善の逆襲」を読んでいただければ、コレ幸いである。 「復活」に結びつく直接の動機が何だったは定かではない。だけどそれが何であろうと、結局は彼の「執念」がそうさせたのだろう。それはもう「本能」とも言えるかも知れない。 山善は自分の音楽性云々について余り多くを語らない。彼の場合、それでいいんだと思う。「何でメシを食うんだい?」と聞かれれば「ハラが減ったから」というほかにどんな答え方ができる? なにしろ歌うってことは彼の「本能」なんだから。 (構成/木之内次利) |
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