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THE KIDS 桐明孝治ショート・インタビュー ピンチに陥ったときは、とにかく新曲をつくる。 それがキッズ流の打開策なんよね。 |
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ライブのアンコールで演奏すると決まって大騒ぎになる"HI−TO−HA−TA"は別にしても、ここ最近は"Dance Dance Dance"のような古い曲よりも"Brand−new information"などの新曲の方が客のノリもいいという。つまりキッズは、ファンが彼らに対して抱くイメージに全く縛られることなく、新しい音楽を演奏することに完全に成功したわけだ。新しい…と言ってもやはりキーボードはいらないと判断される曲は今まで通りの編成でシンプルにやっていくらしい。その辺の融通がきくのも"セッション"メンバーの大きな魅力になっている。 ザ・キッズは84年2月にビブレホールでソロコンを行い、当時の同ホール動員最高記録を作った。しかしそれ以来、ライブハウスでのワンマン・ギグを除けば、85年8月徒楽夢で行った2デイズ・ギグ"ボニー&クライド"までの約1年6ヶ月のあいだ自ら企画主催するソロ・コンサートは全く開かなかった。一時期は地元博多でのライブさえが、ライブハウスにおいても開かれないこともあったほどだ。「振り返ってみると、確かにライブの数は決して多いほうじゃなかった。」と桐明自身も言う。 2ヶ月ぐらい地元でのライブをごぶさたするともう人気がヤバイ、というケースが多いと言っても過言ではない博多の状況。その中で彼らが高い人気を保持してきた(手前ミソながら、本誌人気投票の"博多ベスト・チャート"で、キッズは創刊以来2位以下になったことがない)のには、やはりラジオのレギュラー出演が大きく影響している。ここでのレギュラー出演を、ただ単にラッキーだといって片付けることは簡単なことだ。彼らは毎週番組で自分達の新曲を流していた。裏返せば彼らは休むことなく曲を作り続けていたということなのである。 「あれは"ボニー&クライド"直後の頃かな、だんだんライブに来てくれる客が退屈しとるように感じてきてね。ああこりゃヤバイと思った。そこでライブ活動をひかえて、というよりほとんどせずにね、とにかく曲作りに励んだ。俺たちは窮地に追い込まれたときは新曲を作ることでそれを打開することにしとるんよ。前のベースのビーちゃんが辞めたときも、すぐさま曲作りに専念した。そのときできたのが"Sunset Calling"と"Dancer"。 いい曲書けばなんとか道が開けるって思っとるから。なんだかんだ言っても最後は曲で勝負、みたいなところで。」と桐明。ライブだけでなくラジオ出演さえ休んで曲作りをしていた理由というのがこれでわかる。 さてザ・キッズは86年に東京ツアーを予定しているらしい。ようやく決心がついたその理由は、冒頭の桐明の言葉に示されている通りだ。また近々4〜5曲入りテープを発売することも考えているようで、これは今後のお楽しみ。「あとはもうドーッっと前進のみ!」というザ・キッズの今後はいかに? <最初に戻る> |
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