|
黒い花びら - 柴山俊之インタビュー - |
★博多のロックバンドっていうと、サンハウスが最初だって印象があるんですけど。いや、サンハウス以前にもロックバンドはおった。ただそれはダンスホールで演るバンドであって、ちゃんと会場を借りてコンサートをしたバンドという意味では最初だったと思う。それから、日本語でロックを演ったのもね。チューリップとかはいたけど。 ★その頃(70年代初頭)の事を聞きたいですね。 うーん。嫌われとったね、俺達。生意気やったし、ファッションなんかでも拒否反応が強かったね。気にせんかったけど。 初めて小さなホールを借りてコンサートした時に、300円のチケットでやったら、「ロックのくせに金もうけして」みたいな事をラジオで言われたりした。なんでかというと、その頃のロックのコンサートって無料(フリー)の場合が結構多かったからね。時代が時代だから。それから後もずっと嫌われてたよ、放送局からは。売れて来たらそうでもなくなったけど。 ★ダンスホールでも演ってたんでしょ。 いや、その頃はもうやめてた。だってコンサートで演った方が気持ち良かったからね。やりたい様に好きな事やれるから。当然ダンスホールの時より金にはならんかったけどさ。そこで俺達にとっての救いの場所やったのがパワーハウス(今や伝説となったライブハウス)だった。その他に、フォークのコンサートにも出てたよ。向こうは嫌がってたけど、自分達が演れれば良かったんだから。 ★なるほど。当時では新しいバンドだったと。 そう思うね。嫌われとったのも、あの人達の考え方と違う新しい事をやろうとしてた訳だから、当然かもしれないです。 ★それから、レコードを作る頃になってもずっと博多にいたんですよね。 うん。73年頃からレコードの話はあった。でも、博多にとどまったのは、今だったら根拠はあるけど、あの頃はスタジオもなかったしね・・・・・・バカやったと思うよ。「地方色をいかして(笑)」なんて言われたりして、そんな風に、思い込まれた分、また博多を出づらくなった。でも、東京に出ていかなかったのは、「博多を見捨てた」と言われるのが嫌だった訳じゃなくて、要するに怖かったんだ。 74年位から日比谷野音とか渋谷公会堂に飛び入りで出て、名前なんかみんな知らないハズなのにやたらとウケた。 <次頁へ続く> |
|
||
|
|||