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JUN - ex. JUNKIE HIP SHAKE - |
●現バースディ・クラブの兄の影響で中学1年の時始めてフォーク・ギターを手に入れる。「音楽というよりギターそのものに憧れて始めたんですよ」丁度日本のフォークが全盛期で、タブ譜を付けたギター雑誌が次々創刊されたりギターの上手い奴が教室のヒーローになれる時代だった。吉田拓郎(特に好きだった)、井上陽水、NSP等の歌をコピーするが段々バンドに対する憧れを脹らます様になる。 ●中学3年の頃同級生を中心に始めてバンドを結成する。当然ボーカルを担当。当時甲斐バンドやチューリップが流行っていた。印象に残るヒット曲はバンバンの「いちご白書をもう一度」。●これだけ聞いたらギャグ・バンドと間違える人もいるかもしれないが最初のバンドの名前はホームランだった。演る事はマジでも名前だけはオチャラケていたのだ。高校進学後もバンドは継続するが文化祭だけではもの足りず、ホールを借りての自主コンサートを開いたり各種イベントのゲストに招かれたりして、地元の鳥栖、久留米地区ではかなり有名な存在になる。現マネージャーの鶴田さんと知り合ったのもこの頃。 ●大学進学の為に福岡に出てくる。その後レディというハード・ポップ・バンドに参加、今で言えばボンジョビに近いものがあったそうだ。ロッカーズやモッズでお馴染の今は亡き80'S Factoryにも一回出演したが久留米市民会館小ホールでの自主コンサートを中心に活躍する。同時期の久留米ではフロム80ショッキング・レボリューショウン、ゼウス、チェッカーズなどが活動していて福岡とはまた違うシーンを持っていた。 ●結局大学は2年で中退。その頃からプロになる事を考えたそうだが「別に深く考えてやめた訳じゃないですよ。単に金の無駄だと思っただけ」とは本人の弁。音楽性の問題でレディも脱退する。 ●約一年半のインターバルを置いて1983年4月ジャンキー・ヒップ・シェイクを結成、活動の拠点を福岡に移し徒楽夢などを中心に活動。「去年は結構大きなイベントに何回も出たけど、博多に最初出だした頃のライブの印象は忘れられないね」 ●メンバーは全員鳥栖高校と鳥栖工高のOB。以前からは考えられない程ブルージーなバンドになった。「元々ストーンズは好きだったけど、この頃からストーンズ以前のバンドを掘り下げて聞く様になった」 ●最初キーボードがいたが彼が脱退して5人(Jun/vo、Ogawa/g、Yukinori/g、Goi/b、Katsuo/ds)になってからは不動のメンバーだった。 ●時期的には所謂めんたいロックのブームの後でシーナ&ロケッツ、ロッカーズ、モッズやルースターズに続けとばかりにモダン・ドールズ、キッズ、アンジーなどビートマックスでもお馴染みのバンドが福岡のシーンを盛り上げていた頃だ。 ●1984年5月、Back Street Shuffle(初の自主制作テープ)発売。5日には天神開放地帯(共演/アップビート、アクシデンツ他)に出演する。 ●1985年11月、Born To Lose(自主テープ第二弾)発売。ロックン・ロール・サーカス(共演ゼルダ、アクシデンツ)に出演。FM福岡でDJを一ヶ月担当する。 ●1986年5月、初の本格的ツアー。東京のエッグマン等でライブ。11月には市民会館で柴山俊之、石橋凌+白浜久等と共演する(ROCK CIRCUIT4)。 ●1987年8月、FMロックサーキットin海の中道(共演RCサクセション、バービー・ボーイズ、米米クラブ、ストリート・スライダーズ他)に出演。 ●9月20日には初の自主制作シングルのSmall Town Girlを福岡のBakuレーベルより発売する。 <次頁へ続く> |
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